生と死を考える会の資料ライブラリー。身近な人を失った悲しみを分かち合い、いのちについて考え行動する開かれた場になる事を目指しています。

資料ライブラリー

講演抄録

死別を体験した子供たち ─心のケアとサポート ─

今日は、死と対応する子供達の能力について、理解を深めていただければと思います。子供達は、悲嘆(グリーフ)や死に際して、心の内部でどんなふうに感じているか、言葉で語ることはできなくても、絵などによって表現することができます。
ダギーセンターには、四つの原則があります。

悲嘆とは自然で健康的な反応であり、生命力の証しである
一人一人異なる独自の悲嘆がある
大人にも子供にもそれを乗り越える自然治癒力が備わっている
子供達のグリーフ・サポートに必要なのは思いやりと受容である

と私達は信じています。

  17年間にわたり死や悲嘆の問題に取り組む中で、私は様々な理論を学びましたが、その多くが段階理論や課題理論であり、悲嘆というものを、わかりやすくするために、直線的な構成としてみる傾向があります。 しかし、実際に現場で成人やティーンエージャーや子供達と接してみて困るのは、悲嘆が決してすっきりした直線形ではないということです。 直線どころか、渾沌とした状態です。 直線として学ぶと、どうしても直線的に応用しようとします。 その結果、悲嘆の現状をあるがままに受け入れることが難しくなります。 「今この子はどの段階にいて、次にはどの段階に進むか」というふうに考えがちで、子供達のしていることを直線モデルの中で解釈しようとしてしまいます。 私が研修などで一番苦労するのは、どうやって解釈をやめさせるか、ということです。 解釈することによって、トラウマ(精神的外傷)の影響を否定してしまう場合があります。 そのために、サポートすべき対象との直接の触れあいや、その人たちとの経験に参加することに壁ができてしまいます。 サポートにあたって、本当にやるべきことは何かというと、一緒に遊べるようになることなのです。 子供達と同じレベルで遊び、頭だけでなく全身全霊でサポートに取り組むということです。

  子供達の悲嘆に影響を及ぼす要因がいくつかあります。

亡くなったのが誰か、
どのような亡くなり方をしたか、
亡くなった方との関係、
亡くなる前その人との間で何があったか、
どのようなサポート環境にあるか、
亡くなる以前からのその子の精神状態や内面の心理状態

──などの違いによって、悲嘆のプロセスが比較的容易であったり、複雑になったりします。 母親が亡くなった日にスカーフを借りたことで、「私がお母さんのスカーフを借りたりしたから、お母さん死んじゃったんだ。 借りなきゃ死ななかったのに」と、自分を責める子もいました。

 悲嘆のプロセスを考える上で、エネルギー・モデルを作ってみました。 悲しみ方や悲嘆の表現の仕方について、いろいろな側面があります。 子供達の悲嘆に接していると、身体の筋肉を通してエネルギーが動いているのがわかります。 悲嘆というのはエネルギーなんです。 パワフルで、人の内面も外見も何もかもを変えてしまうほどの力強さをもっています。 子供達はそれを感じ、知っているので、それについて話します。 死の後にはすべてが変わってしまったんだと。 悲嘆は体内のエネルギーであって、それが形を変えて象徴的な現れ方をします。 この象徴的な体験の重要性を理解することが大切だと思います。 子供達はたいていそれを遊びを通して表現します。 その象徴的な形の一つが、心理的な側面です。 何をどんなふうに考えるかとか、信念、アイデンティティー、集中力、記憶など、頭の働きに影響してくるものです。 また悲嘆のエネルギーは、肉体にも影響を与えます。 体の痛みや知覚として感じるものです。 ダギーセンターでは、多くの子供達が痛みを訴えます。 痛がるのでよく見ると、実はどこも何ともないという場合があります。 象徴的な痛みなんです。

 ある4才の男の子が手を切ってバンドエイドを貼ってもらうのを見て、もう一人の5才の男の子が言いました。 「僕にも貼って。 僕も痛いから。 僕のは目に見えない傷だけど。」

 そして二人で「ここに来てる子たちはみんな目に見えない痛さをもってるんだよね。と言うのです。 子供達をサポートする方法の一つは、痛みの訴えに対していちいち真剣に注意を向けるということです。 病死した人の症状を子供が取り入れる、あるいは亡くなった人の身体的な特徴の取り入れが見られるという場合があります。 ある10才の男の子の場合、センターにいる間しょっちゅう転んだりぶつけたりするので、目が離せない状態でした。 母親からも毎日のようにどこかしらケガをして帰ってくると聞き、父親の亡くなった時の様子などを尋ねました。 事故傾性(accident-prone)のある人で、父親は高速道路の現場で働いていて壁が崩れて下敷きになり死んだということでした。 そんな父親との同一化だったわけです。 ケガをするたびに、周りから「死んだお父さんそっくり」と言われるからです。 そこで私の介入としては、衣類や写真などを使い、また父親の他の資質について話すよう勧めて、この子が別な方法で父親との同一化が図れるようにしました。 これは、アイデンティティーという心理的な側面が、身体的な徴候として表れた例です。

 それから、悲嘆には情緒的な側面もあります。 感情や情動です。 別れの悲しみというのが典型的ですが、どんな感情もありえます。 亡くなった人との楽しい思い出などに、喜びや幸福感を感じることもあります。 悲嘆のプロセスには面白いことだってあると、子供達は教えてくれました。 絵を描いていると楽しそうですし、エネルギーが象徴的に表現されるのがわかります。 解放が見られます。 悲しい、楽しい、腹が立つなど、感情を表す言葉を部屋中の壁に張って「どんな気持ち?」と聞くと、子供達は「全部の気持ちを一度に感じる」と言います。 ですから子供達の気持ちが知りたかったら、絵の具を与えてみてください。 ただし、部屋がめちゃくちゃになっても構わないような状況を設定して。

 悲嘆には、社会的な側面もあります。 身内を亡くした後、孤立感を感じるとか、他人の接し方がどうこうという話しをよく聞きます。 社会的な側面としては、死後の悲嘆がどうあるべきかについて、これまで社会の中でどんなふうに教わってきたかという問題もあります。

行動上の側面もあります。 ここで、子供達が大いに関わってきます。 子供の悲嘆は、主として行動を通して表現されるからです。 言葉ではなく、行動に象徴的に表れてきます。 そしてその行動が社会的に問題になる場合もあります。 子供達とは、「話す」ことではなく「何かをする」状態になっていたいと思っています。 「トーキング・キュア(話すことによる癒し)」ということも大切ですが、「ドゥイング・キュア(行動による癒し)」も一緒にやります。 おもちゃや、何か一緒にやれることを準備するように心がけます。

 さらに、悲嘆のプロセスには霊的な側面があります。 宗教や儀式、生と死に関する考え方、魂の問題などです。

 悲嘆のプロセスはダイナミックです。 体内のエネルギー発生の過程なのです。 グリーフワークとは、そのエネルギーをどのように、どこへ動かすかということです。 飛んだり走ったり大きな筋肉の動きでそれを表す子もいますし、小さな筋肉の静かな動きとして表す子もいます。 そのエネルギーが体内の器官で、頭痛や腹痛などの身体的症状を起こすこともあります。 一人ぼっちで、叫ぶことも人に話すこともできないとしたら、そのエネルギーは行き場がなくなってしまいます。

 ダギーセンターや家庭、学校、教会などのグリーフ・サポート・グループでは、共通の体験をした子供達が一緒に集まります。 そこでは、死別の体験を共有するという状況におかれます。 望むままに悲嘆のエネルギーを発揮したり、分かち合いをしたりできます。 ところが普段通っている学校の教室で、何かのきっかけで亡くなった人を思い出したり、あるいは「明日はダギーセンターに行く日だ」と思っただけで、グループにいる時と同じ悲嘆の状況に陥ってしまう場合があります。 そうすると、その子は注意散漫になり、集中力を失い、行動面での問題を示すかもしれません。 その子はクラスの環境と彼自身の調和を失ってしまいます。 ですから、私達がサポート・グループの中でやろうとしているのは、本人と環境の調和をとりもどすこと──ここへ行けば悲嘆の状況に陥っても、周りもみんな同じだから調和を乱さなくてすむという場を、一ケ所提供することです。

 子供達の悲嘆は、死別に伴うものばかりとは限りません。 子供もおとなも、人生においてどんな喪失によっても悲嘆を経験します。 喪失とは変化です。 変化によって、自然で健康的な力強いエネルギーを発生する悲嘆というプロセスが始まります。 それは、喪失に対応するために必要なプロセスなのです。

 次に、子供達が死をどのように理解するかについてお話します。 誰かが亡くなりますと、特に幼い子はそれを一般化する傾向がみられます。 「お母さんが死んだのなら、お父さんも私もみんな死んじゃう」と思います。 まっ先に心配するのは「次に死ぬのは誰?」ということだったりします。 ですからまず安心させてあげることが大切です。 また、子供は自己中心的ですから「誰が私の世話をしてくれるんだろう」ということも心配になります。 人は皆いつかは死ぬけれども、必ず誰か面倒をみてくれる人がいるようにするということを伝え、誰に面倒をみてもらいたいか、子供の希望を聞いたり、遺言に明記したりして、安心させる必要があります。

 子供に対して直接的に死の事実を話すことは、良くないと考える人もいます。 しかしダギーセンターで、「真実イコール信頼である」と教えてくれたのは子供達でした。 子供達にも知る権利があります。 子供は周囲のおとなに依存し、おとなが正直に伝えてくれることを信じています。 そのおとな達が真実を伝えないと、子供との信頼関係が損なわれてしまいます。 おとなは、真実は子供には難しすぎると思いがちです。 しかし、真実を隠せば、作りごとを言わなければならなくなります。 隠そうとしても子供は気づくものです。 2、3才の子でも、お菓子の隠し場所はすぐ見つけます。 子供は環境にとても敏感です。 親が隠していても、実は子供の方ですでに知っていて、親を困らせないために知らないふりをしているということもあるのです。

 8才と6才の姉弟が、父親の死因(薬物の過剰投与による自殺)を正確に知らされないまま、ダギーセンターに通っていたことがありました。 グループのミーティングでは毎回子供達が、亡くなった人のことやその死に方について、話したければ話すという時間があります。 でもこの姉弟は話したことがありませんでした。 1年後、私も母親も、真実を伝えずに終了するのは良くないと考え、話し合いました。 そして私が立ち会い、母親の口から子供達に、言葉を選びながら懸命に真実を伝えました。 聞き終わると二人は「じゃ、もう遊びに行っていい?」と聞きました。 子供達にとってはもう疑問は解けたわけで、エネルギーが動き出し、活動開始の時がきていたのです。 その次のグループのミーティングで皆が話す時も、二人は何も言いませんでした。 米国の社会では自殺は恥とされています。 それを感じていたんだろうと思います。 ところが、この日の最後になって6才の男の子の方が「一つだけ言わせて」と言いました。 「僕のお父さんは、薬をいっぱい飲み過ぎて死にました」── その一言を言えたということは、大したことだったと思います。 二人はその後も予定を延長して参加し続けました。 確かに子どもたちは真実と向き合うことができるのです。

 子供達が理解できるレベルで話せば、子供達にも理解できます。 自殺なら「自殺した」、殺人なら「殺された」、事故なら「衝突して死んだ」、心臓病なら「心臓発作で亡くなった」と、ありのままの言葉を使いたいと思います。 また「死」という抽象的な概念は子供には理解しにくいので、話は具体的なものにします。 発達の程度にもよりますが、7、8才くらいまでは、死の永遠性は理解できません。 ですから「いつ帰ってくるの?」「お誕生日には来てくれるかな?」というような質問をくりかえします。 そのつど具体的な言葉で、生きていることとの違いをくり返し話してきかせる必要があります。

 具体的な言葉で説明する際に、五官を活用するのが良いでしょう。 子供達は見たり、聴いたり、触ったり、味わったり、匂ったりできることは理解します。 その意味で、儀式というのはとても有効です。 寺院や墓地に行ったり、亡くなった人の写真を見たり、ロウソクに火をともしたりすることで、具体的な死の認識ができます。 研究によれば、子供達の悲嘆の仕方に最も重要な要因となるのは、遺された家族の安定だということです。 つまり、家族をサポートすることが子供のサポートにもなります。 遺された親が安定すれば、子供との情緒的な関係もうまくいきます。 ダギーセンターでは、子供のグループごとに親のためのサポート・グループも設けています。 親自身がサポートを受け、なおかつ自分の子供を同じようにサポートしてくれる人達がいるということを実感できます。

 15年ほど前にホスピスでやったことがあるのですが、ボランティアの方に患者さんの留守宅に行って子供の相手をしてもらうんです。 末期の患者さんを世話する家族は、なかなか子供のことまで手がまわりません。 言わばその穴埋めをして、ちゃんと子供のことも見ていますよと、安心していただくのです。

 子供達と関わる際には、遊技療法(プレイ・セラピー)が入ります。 ところが研修で一番教えるのが難しいのも、遊びです。 みんな昔は裸足になってよく遊んだと思います。 ありとあらゆることを遊びに変えてしまったあのパワーはまだ残っているはずです。 子供達のためにより良いサポートをするためには、あのパワーを呼び戻さなければなりません。 子供であるというのはどんなことだったのかを思い出してみてください。 ただひたすら遊んでいた頃を。 紙を無駄にしたり、顔に何か塗ったり、着飾ったり ── 今でも毎日やってることじゃないですか! 子供の頃一番楽しかったことは、一筋の糸のように今の生活にもつながっているのです。

 グリーフ・サポートの方法に、反射(リフレクション)というのがあります。 子供達が言った言葉をそのまま返すだけではなく、動作やエネルギーも反射して返します。 全存在をかけて子供達と関わるには、子供達のエネルギーに匹敵するだけのエネルギーを注ぐ必要があります。 静かな子供と接する時には静かに、ハサミや紙やクレヨンを使って小さな筋肉を動かします。 大きなエネルギーの子に好きなだけ大声を出させておくのは、イライラするものです。 そんな時には自分も大声で叫んでみて下さい。 イライラがすっきりすることに気付くでしょう。 音響効果や乗り物の音をまねることも、子供達は大好きです。 言葉による反射がやりにくい場合には、ただ叫び返してください。 反射には全身を使います。 子供が死について話す時、周囲のおとなが大げさに驚いたり同情したりすると、子供は気の毒に思ってそれ以上話さなくなります。 子供と同じトーンで、同じ単語を使って、くり返すようにします。

とにかく、グリーフ・サポートの意義を確信して、子供達に全身で取り組むことだと思います。 皆さんのご健闘をお祈りしています。

(1999年4月12日月例講演会より抄録作成 広報委員 福岡 愛子)
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