特定非営利法人生と死を考える会の概要。身近な人を失った悲しみを分かち合い、いのちについて考え行動する開かれた場になる事を目指しています。

ご挨拶

ご挨拶

もう少し空けられないか  —新年の挨拶に代えて—

理事長 田畑 邦治(本会理事長・白百合女子大学学長)

 

新年あけましておめでとうございます


 遅ればせながらの新年の挨拶で恐縮ですが、先日、この「あけましておめでとう」について、あるエッセイを読んで、教わることがありました。
「あけまして」は、中に詰まってたものを空っぽにすること、つまりは「空ける」ことであり、また同じように、夜のあいだ詰まっていた「暗闇が空けて、(朝が)明けるのです」と。(一)
 なるほど言われてみると、私たちの世界や心に、ずいぶん古びたものや闇のようなものが詰まっているのではないかと思います。とりわけ、古来仏教の指導者も教えているように、「自我」こそが人間の迷いの元であり、それが少しでもなくなれば、まさしく心はカラッポに「空け」て、 闇も「明ける」はずです。はずです、というのは、実際は至難なことだからです。
 このことを考えているうちに、西郷隆盛のことを思い出しました。西郷さんが当時も、今も国民的な人気があるのはなぜなのか。明治維新の立役者の一人であった西郷さんは、のちに西南の役という勝ち目のない戦争で亡くなりますが、『代表的日本人』を著した内村鑑三は、筆頭格として西郷隆盛を挙げ、その最期について次のように記しています。

 一八八七年九月二四日の朝、官軍の総攻撃が城山に向かって開始されました。西郷が同志とともに迎撃のため立ち上がったとき、一発の銃弾に腰を撃たれました。まもなく少数の味方は全滅。西郷の遺体は敵方の手におちました。
「無礼のないように」
敵将の一人が叫びました。
「なんと安らかなお顔のことか!」
別の一人が言いました。西郷を殺した者がこぞって悲しみにくれ、涙ながらに葬りました。今日も西郷の墓には、涙を浮かべて訪れる人の群れが絶えません。(二)

 ずいぶん以前になりますが西郷隆盛を扱った『田原坂』というテレビドラマで、西郷さんに付き従ったひとりの中津藩士が、敬愛してやまない西郷さんについて家族に送った手紙の一節が忘れられません。
「一日接すれば一日の愛、十日接すれば十日の愛」

 五千人もの若者たち(兵士)に神のごとくに崇拝されたのはもちろん、敵にも愛された西郷さんの魅力はどこにあったのでしょうか。司馬遼太郎は『歴史を考える』という対談の中で、次のように書いています。

 西郷さんは特別秀才でも腕白でもない。むしろ自分は能力のない人間だと思い定めていたらしい。しかし世間にはいろいろ能力のある人間がいる。そこで彼はそういう人々を使って何事かできないかと考えた。ところで、そういう人びとのエネルギーを使うには、私心というものがあってはダメだ。
 これはいつ悟ったんでしょうか。それは西郷のたいへんな英知だと思います。考えるに、私心というものがあって、人間なんですね。食欲があり、性欲があって人間である。人間というのは百パーセントそれで詰まっているんじゃないですか。そういう私心のかたまりのような体の中に、二パーセントぐらいの真空状態をつくろうとすれば、それは脂汗の流れるような大変な努力だと思うんです。しかし、二パーセントぐらいの真空ができると、その中にサーッと吸い込まれるんです。西郷さんはその二パーセントか三パーセント、とにかく人間がなしがたいことを彼の内部においてやりとげた人だと思います。(三)

 西郷さんの本質を見抜いた司馬遼太郎の慧眼と冒頭のエッセイが重なって、私は新しい一年を生きるヒントをいただいたような気がしています。
  思えば、「空ける」ということは人生のあらゆる場面に必要なことではないでしょうか。

 人間関係やコミュニケーションは、まずは自分の心を空けて(開けて)、相手の話を聞くことから始まります。学問や芸術も、可能な限り私心を捨てて、真理と美に感動するのでなければ成り立ちません。現代の教育は、知識を詰め込むことのように考えられているけれども、果たしてそれでいいのでしょうか。
 さて、本会は今年で創立三五周年を迎えます。この種の団体としては老舗と言ってもよいかと思いますが、やはりそれなりの古い荷物が詰まり、動きが鈍くなっているかもしれません。
 会の定款を再度読み直してみることも必要です。
「本会は、誰にも避けることのできない死をみつめることは、かけがえのないいのちの意味を問いかけることであるという理念のもとに、広く市民のために、人間の生と死について様々な角度から考え、学び、行動する開かれた場を提供し、豊かな社会作りに寄与することを目的とする団体です。」

 ここにも「開かれた場」という言葉がありました。物理的にも、精神的にも、場を開くこと、そうして、ことなった新しい風を吹き入れることが、たとえ至難なことでも会の活性化のために不可欠ではないかと思います。


(一) 『カトリック新聞』二〇一七年一月一日号、西 経一神父。
(二) 内村鑑三著、鈴木範久訳、代表的日本人、岩波書店(岩波文庫)、一九九五年、三五頁。
(三) 司馬遼太郎、歴史を考える、文藝春秋社(文春文庫)、一九八一年、一六三頁。

(2017/1/30)