ご挨拶
年始の挨拶
生と死の存在意義をより深く探る
代表理事 藤井 忠幸
はじめに
二〇二四年という新たな年月が早や動き始めております。
この二、三年間は、コロナ禍の影響もあって、世間のあり様は不安定な様相が続いてきておりま
す。
そして、コロナは病と関連することもあり、死ぬこと、生きることのあり様や意味が以前より、一層、身近になってきていると言えましょう。明るい「生」の表面が影をひそめ、安定感に欠ける不安定な裏面が浮き出てきていると言えましょう。
暗い面と明るい面が目立つ社会に
多くの人々はこれまで、社会の暗い側面より、
明るい表面に目を向け、思考することが一般的であったと思われます。
しかし、最近では、好むと好まざるを得ず、世の中の暗い側面が身近に迫ってくる傾向が強まってきていると言えましょう。
そして、この変化の過程で、以前にはあまり感じることが多くはなかった社会の暗さ、生きづらさ等が身近に迫ってくるようになってきている感じもいたします。
それらの良し悪しは別にして、社会の表面と裏面の両方とより身近に向き合い、その過程で人の生死の意義を一層深め行く機会に直面しているのではないでしょうか。このような傾向は決してマイナスではなく、私たちの生死の意義を深め、豊かにしていく機会につながって行くものと思われます
「死」と真っ直ぐに向き合っていく社会観
本会の活動は、発足以来、約半世紀の間この人生の大事な課題と向き合ってきました。その間、さまざまな人生模様の課題を提起し、身近に活動し、分かち合ってきたと言えましょう。
それらの活動の軌跡をあらためて整理し確認し合うことを通じて、これからの時代への展望を描き直して行ければと願う次第です。
また本会の名称は、いささか仰々しく「生と死を考える」という命題を掲げております。人の世の根本となる「人の生きる、死ぬこと」の意味を考え、向き合っていく姿勢を大切にしております。このようしていくことが、世間一般では、多くは見られません。むしろ「死」は出来る避け、考えないようにしていく分野とされていると言えましょう。そのような死生観が一般的と思われます。
人々が当然それぞれ直面する「死」を避け、「生」だけを考えていく人生観はいかがなものでしょうか。それは生きることの意味の大切な要素、意味を曖昧にし、抜き取っていく姿勢になるのではないか、と言えないでしょうか。
バランス感覚のとれた社会観
人生とは、生と死の両面が組み合わせられてこそ、人生を織りなおしていくのではないでしょうか。その柱となる「死」を避けてしまう姿勢は、まったく片手落ちではないか、と言えましょう。
「死」の存在が、「生」と同様に人の世で大切されることによって、人生そのものが成り立つ関係にあると言えましょう。
しかし、ともすれば一般社会では、「死」の存在はできるだけ触れないようにする忌避感情が支配的になっているのではないでしょうか。そのような人生観では、人生における大事な側面が抜け落ちてしまいます。
その結果、一面的で貧弱な人生観が世間で支配的になってしまうことでしょう。
私どもは、前述のような社会的偏見に支配されがちな「死」の存在を、きちんと人の「人生」の中心に据え直して行くことを大切にし合っております。一回限りのそれぞれの人生をより意味深く、豊かなものに仕上げていく方向性を大切にしていきます。
「光」だけの人生では、偏り、危険な人生になってしまいかねないと思われます。
新しい年への期待
人として誕生し合った運命に共に生きて行くには、「生」の裏面である「死」ときちんと向き合っていくことが、最重要な課題になると言えましょう。
本会では、くり返しにはなりますが、人として生きていくことは、死ぬことを大事な要素として認め合い、向き合って行くことになります。
新しい年の始めに際して、あらためて「死」の大切さを再確認し合い、「生」の一層の豊かさと大切さを確認し合って行きたい、と願う次第です。
(2024/1/31)