生と死を考える会の資料ライブラリー。身近な人を失った悲しみを分かち合い、いのちについて考え行動する開かれた場になる事を目指しています。

資料ライブラリー

講演抄録

地域の中での悲嘆援助~ホスピスの現場から

● Yさんの場合
私は医者でも看護婦でもありません。主に在宅ホスピスを中心にして医療者と一緒にその方のお宅に伺い、主にお話を聴く。患者さんや家族の様々な不安ですとか、苦しさとか、社会的な問題も含めて話を聴いております。
 Yさんは52歳の女性でした。肺がんです。既に私達の訪問看護ステーションに紹介があった時には、がんがリンパ節に転移しているという状態でした。

 ご本人は大きな病院で手術をされてから、ご自身の希望で在宅療養されていました。ご家族はご主人とお嬢さんが二人の四人家族です。告知を受けていましたので、ご本人もご家族も病状についての理解があります。

 当初、私達の所に依頼があった時点での問題点というのは、呼吸苦とがんの痛みからくる様々な困難、疼痛管理、ケアをするに当たっての日常生活の援助でした。この方の場合は、初回に私は訪問をしていなかったのですが、ある時、看護婦さんから「同行してほしい」という依頼がありました。その時どういう状態であったかと言うと、Yさんはご家族の協力もあって在宅を選択されましたが、(Yさんは本当に積極的で明るくて、ご自分の意見をしっかりと持っている方で、私たちの医療機関は他に患者会というグループもあり、こちらにも参加されていて、いろいろな事を自分なりに考え、皆と話しあうといったように、退院後の時間を積極的に過ごされていた方です。)そんなYさんなのですが、だんだん体の調子も思うように行かなくなってきました。日を追う毎に自分で出来ることが少なくなってきました。そのうちにご自身もつい家族の方に色々な事を言ってしまったり、当たってしまったり、イライラしたりすることが増えてきたそうです。

 家族の方にもそれぞれの想いがあり、娘さんやご主人は、お母さんを自宅で見ようという決心をして在宅療養を始めたにも関わらず、その日その時には、やはりそれぞれの想いが生じます。Yさんは呼吸苦に対する不安感、痛み、転移に対する不安が非常に強い時がありました。退院の時から続いている、食欲がないことや体のだるさ、胸の痛みも抱えていました。当然、そのような事は医療的に対応してきましたが、精神的な不安が段々増してきました。

精神不安とはどういうことかと言うと「死に対する不安と恐怖」です。これは患者さんだけでなく、ご家族もそうでした。家族に対するご本人の気遣いもありました。自分は自宅にいたいという想いと家族に対する遠慮、思うようにいかないイライラ感です。ちなみに、この方の在宅期間は37日間です。

 私は患者会にYさんが参加されていた時から存じ上げていたのですが、久しぶりに見て驚いたのはかなり痩せてしまっていたことです。また、倦怠感や呼吸苦があるので話す声が聞き取りにくいことです。

 ご家族は、私達が訪問している間も全員が部屋に居て、Yさんと私達が話す事を一言も漏らすまいと全員が同じ部屋に居るという感じでした。

 ある時、Yさんが私にこんなことを話し始めました。「娘に辛い思いをさせて可愛いそうだ。申し訳ない。最期の時を娘が耐えられるかどうか心配だ。自分が死んでいく様を娘が直視できるかどうか心配だ」。この方の娘さんはお二人とも看護婦さんなのです。「いくら看護婦でも自分の親は違うだろうし・・・」、と言って泣かれていました。「だから、病院へ行った方が良いかなと思う。今までにいろいろ考えて決めてきたつもりだけれども、実際に自分の死が迫ってくるとどれ程自分が弱いか。私は自分が今情けない」、と言って涙をこぼすのです。

 私はいつもそうなのですが、スタッフの中で一番時間が一杯ありそうで暇そうな顔をして、患者さんのお宅に伺います。時計も外していきます。忙しいふりをするのは私の中ではタブーなので、看護婦さんが次の訪問があるときは、私が残るようにしています。

● 最期の教育
私は群馬で分かち合いの会をやっています。そこである30代の男性がお父様を亡くして初めて分かち合いの会に来た時の聞いた話を思い出しました。
 その男性はお父様を亡くされた事に深い悲しみを持っていて、いつまでもそこから立ち直れないでいました。

 何回かの参加の後、彼は「親の看取りは子供が最後にする親孝行だと思っていたが、そうではないことが分かりました。親の死とは親から子供への最後の教育だと思いました」と言いました。

 そんな事を分かち合いの会で言った方がいて、ふとその話を思い出したので、Yさんにこの話をしました。Yさんは黙って聞いていて、「そっか。良かった。私このままでいいんだね。気持ちが楽になった。吉本さん、良いことも悪いこともひっくるめて家族だよね」。

 Yさんは最期まで自宅で過ごされて息を引き取られました。

 私は職場に戻ってきてから記録を書いていますが、そこに書いたことをお伝えしたいと思います。「弱さも強さも認めていることを信じるように促す。家族は看取りの覚悟がついているのでYさんにそのままでご主人と娘さんに看てもらいながら一日を過ごすことが大切だと理解してもらえるようYさんの心の揺れをきちんと聴いていく」

● 場所ではない
Yさんの事例を通して感じたことを最後にお話したいと思います。
  在宅での看取りは見る方も見られる方も辛いです。これは在宅でも施設ホスピスでも同じだと思います。

 何も出来なくなりつつあるYさんでも、いつまでも親であり続けたい、あり続けるという本当の姿を見る事が出来ます。

 子供さんにしてみるとお母さんはそのままで良い。親にしてみると子供にだけは辛い想いをさせたくないという気持ちがあります。

 在宅のメリットは今までの生活形態の中での毎日が継続されるという部分が非常に大きい。そして、自分達のペースでやれること。様々な精神的な苦しみも出し合える。家族それぞれの心の痛みにどう対応するかが、私の仕事の大きな目的です。

 まず、偏らない援助。見なくてはいけないのは患者さんだけではなく、家族もだということ。  

 必要な場合は個別の相談を受ける。更に必要な時は全体での対話を私達の方が働きかけ、一人一人が自分の想いを出し合える空間を作るということも在宅のスタッフの役割だと思います。

 それから、患者さんの気持ちの確認。これを客観的に考え、捉えることが必要だと思います。

 ホスピスというものが場所ではないという事、そういったことを皆さんと一緒に考えたいと思います。人一人の生き方、一つの命、固有性のあるものをどうやってより多くの手で、地域で、スタッフで支えるかということが、ホスピスを考える時にひとつのキーポイントになるのではないかと思います。

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