生と死を考える会の資料ライブラリー。身近な人を失った悲しみを分かち合い、いのちについて考え行動する開かれた場になる事を目指しています。

資料ライブラリー

講演抄録

死を意識して生きる患者さんとその家族とのかかわりから

● 二十年前を振り返って
今日は、二〇周年記念シンポジウムということでもあり、二〇年前はどうだったのかということを、ずっと思いおこしていました。二〇数年前、僕はアメリカの病院でチャプレンをしていたのですが、静岡県に日本で初めてのホスピスを作るというので、その準備室長として声を掛けていただき帰国しました。しかし、当時の日本には、「ホスピス」という言葉もないし、勉強会や講演会で「死」という文字が書いてある看板はどこの会場も一切出さないでくれと言われるような状況でした。
そんな情況での中でホスピスを作るにはどうしたらよいだろうと思い悩みました。そして「死」に関する書物を出している人がいるだろうかなどいろいろ調べました。そのような中で、大阪の淀川キリスト病院の柏木先生—日本に帰る前にアメリカで出会っていました—に呼びかけ、それから若林一美さん—世界各地のホスピスを取材して恐らく日本で初めてのホスピスに関する書物である『安らかな死のために』を書いていました—、共同通信記者の皆川さん—北欧やイギリスのホスピスを取材して記事を書かれていました—、それからこの会の発足に関わった谷先生—『臨死患者』という題名で翻訳をされていました—などほんの五、六名で共同通信社の部屋をお借りして勉強会を開くことにしました。互いの情報交換や、ホスピスとか末期の患者さんのケアをなんとかよくしたいという「生と死」に関する勉強会です。一年くらいずっと続けたところで、僕はまたアメリカに戻ることになり中断しましたが、ちょうどその頃、勉強会に来ていた方々が関わって「生と死を考える会」が発足したという報告があったことを憶えています。当時はこういう活動をする人は本当に少数でした。
あれから二〇年の年月が過ぎ、今では驚くほど多くのホスピスや緩和ケア病棟ができ、また関連するいろいろなグループがそれぞれに活動しています。二〇年前とは驚く程の違いです。
「死」についての書物もずい分と沢山出版されています。医療の現場でも末期の患者さんのケアの研究会や勉強会など以前に比べたら格段に多くなっています。にもかかわらず、ひょっとしたら、当初二〇年余前に少ないながらホスピスを作りたいと思っていた人たちと語りあっていた頃と比べたら、ホスピスそのものがずいぶん遠くに行ったのではないかという寂しさも感じます。
これは僕が医師やナースと違ってチャプレンとして患者さんや家族に関わっているからだろうと思います。


● 「病気」という言葉—医療者と患者さん—
最期の時を医療機関で迎えることの多い現在、末期の患者さんのケアは、どうしても医療者が中心になっています。医療機関ですから医療に主導権があるのでしょうが、これに対する疑問の声は患者さんからも家族からも聞かれます。どこがどう違うのかチャプレンとして感じていることをお話したいと思います。
「病気」という言葉そのものの意味が、医療者と患者さんでは違うことを強く感じています。例えば僕は「頭が痛いとかお腹が痛い。どうも具合が悪いから今日は学校を休もうかな」という時に英語では「I feel sick」と言っていました。「sick」という言葉を使います。そしてどうも調子が悪いので病院に行って診てもらうと、そこで医師は診断をします。診断の結果、病気に対し医師が使う言葉は「disease」です。この人にはこの「disease」があるとかないとかになります。診断を受けた僕は、何々の「illness」がある、だから今日は寝ていますということになるのです。
つまり病気という言葉も、「sickness」「disease」「illness」という具合に一つではありません。
ですからこれらをひとまとめにしてしまうことで患者さんと医療者の間に隔たりが出来てしまうように思うのです。
医師は、その患者さんの生理的、また生物的な機能がどう働いているかをきちんと診断するために「disease」を見ます。医師が「disease」を見る時には、感情とか価値観は入りません。例えば、糖尿病であればどのように膵臓が働いているか、インシュリンが出ているかを判断するために、感情も価値観も入りません。
ところが、患者さんにとっては、「disease」があるかないかということもさることながら、それが自分の人生にどのような意味があるかが大切なのです。それによっては就職も出来ないかも知れない、結婚もできないかもしれない、そうなった時の人生には何の意味があるのだろうかと、不安や悔しさやいろいろな感情が起こってきます。つまり患者さんにとっての病気は感情や価値観で成り立っているのです。「disease」があるかないかという単純なことではないのです。「disease」があるかないかが自分の人生に大きく影響するから不安になったり、悲しくなったり、恐ろしくなったりするのです。
しかし緩和ケア病棟においても「申し送り」というものがあります。ところが申し送りで伝えることのほとんどが「disease」に関するものです。呼吸はどうかとか血圧はどうか、体温は、など「disease」を中心にしたものです。つまり、医師の診る「病気」についてであって、患者の苦悩している「病気」については話し合われることは極めて少ないということです。
今でも多くの看護記録は感情や価値観は客観的でないから記録しないこととしています。客観的で明確なことだけを記録しましょうと、「disease」の観点から生理的なデータだけが伝達されるのです。

● 生きることの意味と価値
実際に緩和ケア病棟の患者さんから聞かれることです。「患者本人も私も病気のことはよくわかっています。治らないことも知っています。それなのに医師もナースも顔を合わせると身体のこと、病気のことしか口にしません。私たちが悩み苦しんでいるのは、そういう病気を抱えて生きていくということなのです。身体のことを一日中話されるとますます気が沈んでしまいます」。あるいは「ここには医師とナースしかいません。話のできる人間がいなくてとても寂しいのです」。
末期患者さんへのケアだとか思いやりだとかあたたかさだとか、この二〇年余りいろいろな言葉が出てきました。しかし僕は基本的に、病気ということを考えるときに、この二つの医療者と患者さんの体験する異なった次元の葛藤があるということをもう一度考え直してみないと本当の意味で患者さんとその家族のケアにたずさわるのは難しい、とこの頃つくづく思います。人というのは、それぞれ自分が学んできた基礎学問の言葉が一番理解しやすいものです。従って医学的な用語というのは医師、ナースともに了解できます。しかしそこに次元の異なる人間の葛藤や苦悩、感情、価値観に重きをおいている人たち、例えば患者さん、家族、カウンセラー、ケース・ワーカー、チャプレンなど医学用語で話さない人たちが参入すると、なかなかうまく話し合えないようです。つまり、チーム医療というものの難しさもここから来ているように思うのです。
ですから患者さん達の葛藤を全人的に見ることができないのだろうと思います。フランクルも次のような文章を書いています。
「一人の外科医がある患者の脚の切断手術を行った。切断手術が完了し、手術用手袋を脱ぎすてたとき、わが義務は終わったと医師は考えるだろう。しかし患者が『不具者として生きることはできない』と言って自殺してしまったら、いったいこの外科的治療の意義はどれだけ残っているのか」と。
「病気」に関する医療者と患者の間の異なった次元の葛藤について、もう一度皆で真剣に考え直してみる必要があると思います。

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