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| 寄稿 |
ボランティアとケア
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五島 朋幸
(当会副理事長、ボランティア講座コーディネーター、医療法人星秀会理事、
日本歯科大学附属専門学校講師【ボランティア活動論】) |
| 最近、ボランティアに対する関心の向上とともに、自ら参加する人たちも増加しています。地域のボランティアや病院、施設でのボランティア、さらには国際的なボランティアに至るまで、多くの人が参加するようになってきました。しかし、日本でこのような気運が盛り上がり始めたのはそんなに昔のことではありません。
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| ●日本人のボランティア観 |
かつてボランティアに対して日本人が持つイメージはどのようなものだったでしょうか。「無償の行為」「美徳」「献身」「善意」「好意」、ちょっと意地悪なものだと「偽善」「金持ちの道楽」。中でも無償であることがことさら強調され、金銭的、精神的に余裕のある人が、その余剰な部分を(善意であるにしろ)弱者に対して提供するイメージを持たれていました。
一方、欧米では日本と比べボランティア活動が積極的に行われています。ある調査によると、アメリカの一八歳以上の成人の約半数がボランティア活動を経験し、その活動平均時間は週4.2時間ということでした。時間では計算できない活動もあるでしょうが、かなりの頻度で参加していることは間違いありません。このようなボランティアに対する関心の差をキリスト教国だからという人がいるようですが、それだけではないようです。欧米ではボランティア活動は紳士・淑女のたしなみと考えられているのに対し、日本では影で「偽善者」と陰口をたたかれるという社会性にあったと思います。
1985年1月に発生した阪神・淡路大震災以降、日本でも一般市民のボランティアに対する関心が一気に高くなりました。あらゆる分野でボランティアグループが設立され、NPO法人として活動するグループも増加しています。しかし、未だ日本の社会の中でボランティアが認知されているとは思えません。たとえ高い理念を持ち有意義な活動を行っているグループであったとしても、金銭的、人的な財産に乏しく、活動を持続していくことは大変困難です。それに対する行政的サポートも今はありません。このような現状を考えると、私たちはもう一度「ボランティア」とは何であるのかを再考し、何を目指していけばよいのかをもう一度考え直す時期に来ているのではないかと思います。
本稿では、私の考えるボランティア論を披露し、皆様がボランティアについて考えていく材料にしていただきたいと思います。
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| ●なぜボランティアなのか |
阪神・淡路大震災直後、多くのボランティアが現地に集結しました。その数は20万人とも25万人とも言われています。その他にも募金や寄付という形で参加した人も多くいます。彼らは誰かに命令されて行動したわけではありません。
当時、国民の大半が「何か出来ることがあれば協力したい」という気持ちを持ったことは皆さんの記憶にあるはずです。メディアからは、平和大国日本とかけ離れた情景が映し出され、自分より困っている人たちに何かをしたいという気持ちがあったことは間違いありません。しかし、ボランティアとして参加した人たちはみんな精神的、時間的、体力的または金銭的に余裕のある人たちばかりだったのでしょうか。決してそんなことはありませんでした。仕事を休職した人(退職した人もいたとそうです)、私財をなげうって参加した人、老体にむち打って乗り込んだ人。誰にも頼まれていないのに自らの意志で行動した人が多くいました。何がこのような行動や感情を動かしたのでしょうか。また、人はなぜボランティアをしたいと思うのでしょうか。この原動力を考えることこそボランティアの本質を考えることだと思うのです。
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| ●ボランティアの本質 |
ボランティアに参加することで他人から「いい人」と思われたいという人もいるでしょう。また、「何かを人にしてあげる」という行為によって優越感を求めたい人もいるかもしれません。もちろん少数派でしょうが。このような人たちの行為と真のボランティアとの違いはどこにあるでしょうか。それは、感情を共有しているかどうかの違いではないかと思います。
例えば、前述の大震災であれば、その悲しみや苦しみを共有して行動したかどうかです。道路の清掃ボランティアであれば、通行人が気持ちよく歩いて欲しいと思って行動したかどうか、環境ボランティアであれば地球を大事にしようと思ったかどうか・・・。
それと同時に、何かを与えるだけの単方向の行為であってはいけません。「好意の押し付け」や「おせっかい」になってしまうケースもないわけではありません。ボランティアをすることによって自分自身の心の中に何らかの報酬を得るということも重要なことです。
このようなことから、私は、ボランティアの原動力を「ケア」ではないかと考えています。
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| ●新ボランティア論 |
人間社会は、基本的にケアの関係で成立しています。医療、福祉、教育など人と接する仕事だけでなく、すべての職業は(犯罪は除く)「世のため人のため」に行っている訳ですからケアの関係の中にあります。人間社会を成立させるためには多くの『役割』があり、金銭的報酬を得る目的で行うものが職業、それ以外がボランティアではないかと考えています。重要なことは、金銭的報酬を得るのに足りる行為が職業であり、それに値しないものがボランティアというわけではないということです。
子育てや家族介護だってボランティアです。子供を金銭の報酬目的で育てている親はいませんし、報酬に値しない仕事であると考えている親もいないはずです。また、最近では高齢社会を反映して「一人暮し高齢者の見守り(声かけ)ボランティア」、「お弁当配送ボランティア」、さらには「布団干しボランティア」のようなユニークな活動もありますが、どのボランティアも一人の高齢者の生活を支える重要な仕事なのです。そして私たち「生と死を考える会」の活動も社会の中で重要な役割を担っているのです。
一般的な職業とボランティアには金銭的な目的と同時に大きな違いがもう一つあります。職業であれば金銭的報酬を得るという目的があるために自分の意志とは異なる行為もしなくてはならない時があります。その点、ボランティアとは、あくまでも自らの意志で行動することができます。人間が本来持つ「ケア」という原動力に自分自身の意志が加わって行動することがボランティアなのです。だからこそ自分自身に心の報酬を得ることが出来るのです。これらのことから私はボランティアを次のように定義しています。
「報酬を目的とせず、自らの意志でケアを実践する行為」
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| ●おわりに |
| NPO法人「生と死を考える会」はボランティアグループです。他のグループ同様、人的・経済的に裕福とは言えません。しかし、20年間継続して活動してきたこと、つまり社会のケアに協力できたことは素直に喜びと感じるべきだと思います。それと同時に一人一人がこの会に参加し、時代のニーズに合わせたケアを実践することは重要な役割です。会は次の20年に向かって歩み始めました。この歩みを止めることなく、正しい方向に進めることも会員として出来るボランティアではないでしょうか。 NPO法人「生と死を考える会」はボランティアグループです。他のグループ同様、人的・経済的に裕福とは言えません。しかし、20年間継続して活動してきたこと、つまり社会のケアに協力できたことは素直に喜びと感じるべきだと思います。それと同時に一人一人がこの会に参加し、時代のニーズに合わせたケアを実践することは重要な役割です。会は次の20年に向かって歩み始めました。この歩みを止めることなく、正しい方向に進めることも会員として出来るボランティアではないでしょうか。 |
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